長崎 大浦天主堂
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大浦天主堂 Official Page

名称大浦天主堂

OURA TENSHU-DO

所在長崎県長崎市南山手5番3号
設計者ヒューレ神父(建築当初)建築年元治元年(1864)築
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大浦天主堂 ガイドマップ

歴史

◎大浦天主堂は、19世紀の日本の開国に伴って長崎にできた居留地の外国人のために1865年にフランス人宣教師が建てた教会堂です。

◎境内地には、まず1863年に神父が居住する司教館が建てられました。

◎大浦天主堂は、16世紀に長崎で殉教した26聖人の殉教地の方角に向けて建てられています。

◎建設直後、長崎近郊の潜伏キリシタンが、ひそかに大浦天主堂を訪れて、 宣教師に自分たちの信仰を告白しました。

◎日本のキリシタンが、2世紀ぶりに宣教師と再会したこの出来事は、「信徒発見」とよばれています。

◎この出来事は、直ちに各地の潜伏集落に伝わり、集落の指導者はひそかに大浦天主堂を訪れて宣教師と接触しました。

◎宣教師との接触は、潜伏キリシタン集落に新たな信仰の局面をもたらし、 様々な反応を引き起こし、禁教下にもかかわらず信仰を表明した潜伏キリシタンには、 厳しい弾圧が加えられました。

◎しかし、諸外国の抗議を受けた明治政府は、1873年に禁教を解きました。

◎解禁を受けて、大浦天主堂では、羅典神学校や伝道師学校を設置して、 日本人の宣教師や伝道師を養成すると共に、 潜伏キリシタンに伝承されていたポルトガル語由来の言葉を用いた教理書を印刷して各地の潜伏キリシタン集落のカトリック復帰を促しました。


大浦天主堂(外観)

・大浦天主堂は1864年に建設されました。

・天主堂は、1597年に長崎で殉教した日本二十六聖人の殉教地の方向に向けて建てられています。

・当初の天主堂は、現在よりも一回り小さな建物でした。

・1875年と1879年に当初の建物を取り囲むように増築が行われ、現在の姿となりました。

・外壁には白い漆喰が塗られていますが、煉瓦造の教会堂です。

・正面上部には、日本人にも理解できるように漢字で「天主堂」と書かれています。 神父は禁教下でひそかに信仰していた信徒がいることを期待していました。


大浦天主堂(内観)

・堂内の中央部が創建当初のオリジナル部分です。 「信徒発見」の舞台となった堂内の空間は保持されています。

・マリア像の前で「信徒発見」がありました。

・脇祭壇のマリア像はその当時のものです。

・「信徒発見」のニュースは、長崎と天草地方各地の潜伏キリシタンに伝えられ、 各地の共同体のリーダー達がひそかに大浦天主堂を訪れて、組織的にカトリックへ復帰する準備が整っていきました。

ガイドマップ より


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