小倉城      Kokura-jo Castle    18.Nov.2001         天空仙人の名城めぐり


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小倉城

Kokura-jo Castle

福岡県北九州市小倉北区城内2−1

2-1,Jonai,Kokura-kita-ku,Kita-kyushu-shi,Fukuoka


細川忠興は、慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の功により、豊前国全域と豊後国二郡を領する 30万石(検地高39万9千石)の大名として入国、中津城に在城した。

居城を小倉に移すため慶長7年これまでの小倉の城を廃して新しく築城をはじめ、 その年の11月、小倉城へ移った。

城の中心は、天守閣のある本丸と松ノ丸、北ノ丸で、これを囲むようにして二ノ丸、三ノ丸を配した。

天守閣の外観は五重、内部は六層(現天守閣は、四重五層)である。

これは、五重目の内部が上下二段に分かれているためで、五重目の下段までは、白壁が塗りこまれ、 上段は黒塗りで張り出しになっている。

また天守閣の屋根には、破風がなく、当時この天守閣は、唐作りと称されていた。

城のすぐ東を流れる紫川を天然の濠とし、この川をはさんで東西に曲輪を設け、城下町をつくった。

城郭の総構えは、約8キロメートルにもおよび、これを濠で囲み、街道に通じる八ヶ所の門を設けた。

寛永9年(1632年)細川氏は、肥後国移り、替わって播磨国明石城主であった 譜代大名の小笠原忠真が小倉城に入り、15万石を領した。

第二次長州征討戦の慶応2年(1866年)8月1日、小倉藩は、田川郡に撤退する際、小倉城に火を放ち、 城内の建物は、ことごとく灰じんに帰した。

なお、天守閣は、天保8年(1837年)の火災で焼失、以降再建はされなかった。

現在の天守閣は、昭和34年鉄筋コンクリートで、再建されたものである。

北九州市教育委員会 案内板より


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