丸亀城
      Marugame-jo Castle
             9.April.2019
             天空仙人の名城めぐり
丸亀城 Official Page
丸亀城 写真
「丸亀城」

丸亀城 写真
「丸亀城 天守」

丸亀城 写真
「丸亀城 天守」

丸亀城 写真
「丸亀城 天守」

丸亀城 写真
「丸亀城」

丸亀城 写真
「丸亀城から飯野山(讃岐富士)を望む」

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「丸亀城 天守閣」
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「大手二の門」「大手一の門」
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「石垣」「石垣」
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「石垣」「石垣」
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「石という字」
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「見返り坂」
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丸亀城

Marugame-jo Castle

香川県丸亀市一番丁

Ichiban-cho,Marugame-shi,Kagawa


丸亀城

丸亀城は、生駒氏が慶長2年(1597)から5年をかけて西讃岐の支配のため築城したが、 一国一城令により廃城となった。 その後、生駒氏の転封により讃岐は東西に二分され、西讃の拠点として山崎氏がその城跡に、 寛永20年(1643)より築城を開始した。 現在のほとんどの石垣は、山崎氏によって造られたと考えられる。 山崎氏絶家後は京極氏が入封し、明治維新を迎える。

標高66mの自然の岩山である亀山を利用し、それを取り囲むように四方に3段の石垣を巡らせ、 山下部から三の丸、二の丸、本丸へと整って行く縄張りとしている。 山上部にはかつては現存する天守を含め12の間とそれらを繋ぐ渡櫓があり、 山下部には藩主の住居館や大手門、庭園などがあった。 また、外堀の内側には武家屋敷を置き、大手口や搦手口には家老屋敷を配置して守りを固めていた。

天守は全国で最小ながら現存する木造天守12城のひとつであり、 大手門や御殿門も現存している点は貴重である。 また、緩やかな勾配から次第に急になり最後は反り返る「扇の勾配」といわれる高さ20mを越える見事な高石垣が見所である。


丸亀城天守(附 指定)板札

国指定重要文化財 昭和18年6月9日指定

江戸時代前期、山崎氏により建築されたと考えられる天守で、 全国に12しか残っていない貴重な現存木造天守です。 高さ15m、3層3階、入母屋造の本瓦葺で、壁面及び軒裏は漆喰で総塗籠になっています。 1層目は東西6間、南北5間の広さで、高さ約2mまで腰板張りとし、 北面に石落としを設け、二の丸搦め手に備えています。 2層目は東西4間半、南北3間半、南北に唐破風をつけ、 3層目は東西3間、南北2間、東西に千鳥破風、北面には素木の格子窓を設けています。

天守内部は、各階に柱を建て、特に隅柱は左右に添え柱を建て、柱頭に燧梁をかける堅固な構造としています。 木材は栂を主に使用し、檜と松も使用しています。 壁面は長押の高さまで漆喰を厚く塗り防御を固めるとともに、 足元には非常の際に打ち抜いて使用する大砲狭間を設けています。 通し柱を使わず各階に柱を建て、上階を急激に狭め逓減率を大きくしていることと、 本来なら間口の広い東西方向に棟を設けるべきところを南北方向に三角形の入母屋屋根を見せることにより、 北側の城下から見上げたときに天守が大きく見える工夫がなされています。

また、昭和23年から25年にかけて行われた解体修理の際に、 最上階の南東隅の壁面内部から長さ75.8cm、幅13.9cm、厚さ6mmの檜材の板札(祈祷札)が発見され、 この墨書により天守が万治3年(1660)に完成したと考えられています。

丸亀市教育委員会


三の丸

見返り坂を登ると三の丸である。 海抜約50.5メートルの平地で、東方(左方)の眺めがすばらしい。 飯野山(譜岐富士422メートル)がそびえ、その手前に土器川が右(南)から北へ流れ、 その北に青ノ山が横たわり、更にその北に遠眺するは坂出市番の州工業地帯と瀬戸大橋である。 東南隅に巽櫓の跡がある。 土器川の東と城の南方は旧高松藩領で、それを見張る櫓であった。 月見にはよい位置であったから月見櫓とも呼ばれた。


石垣の美しさは丸亀城の誇りである。 城壁の高いとは三の丸で25m平地から本丸に至る山全体を4段の高石垣で取り囲む その姿は壮観である。

緩い勾配から次第に急になり上部では反り返る石垣の優美な曲線は、 扇を開いたような形状から「扇の勾配」と呼ばれ、 城の防御性を高めるとともに美しさも兼ね備えている。

また、石垣の中央部や出入口付近では防御のため出隅。 入隅を設けて左袖や、横矢掛りとしており、 これらが石垣に変化を与えて美しさをいっそう引き立てている。

案内板より


丸亀城

現存木造天守

EXISTING WOODEN CASTLE

丸亀城は豊臣秀吉に信任された生駒親正によって慶長2年(1597年)、 讃岐の本城である高松城の支城として亀山に築城が開始される。 元和元年(1615年)には一国一城令により廃城となるが、寛永20年(1643年)、山崎家治により再建。 その後、丸亀藩主となった京極高和によって万治3年(1660年)に天守が完成された。 標高66mの亀山山頂に見える白亜の天守は全国に12しか残っていない現存の木造天守で、高さ15mと日本一小さい。 美しい高石垣と天守が現存することから、城愛好家に人気があり、 平成18年(2006年)には「日本の名城 100選」にも選ばれた。

天守入場券 より


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