宇和島城
      Uwajima-jo Castle
             7.April.2019
             天空仙人の名城めぐり
宇和島市観光ガイド Official Page
宇和島城 写真
「宇和島城」

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「宇和島城」

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「宇和島城」

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「宇和島城」

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「宇和島城」

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「天守から宇和島市街を望む」

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「某ホテル屋上から天守を望む」

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「宇和島城 天守閣」
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「天守からの眺め」「天守からの眺め」
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「桑折氏武家長屋門」
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「井戸」
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宇和島城

Uwajima-jo Castle

愛媛県宇和島市丸之内1-127

1-127,Marunouchi,Uwajima-shi,Ehime


宇和島城
自然と共にある城

“伊達十万石の城下町”と呼ばれ、江戸時代から四国西南地域の中心として発展してきた宇和島市は、 日本屈指のリアス式海岸地帯にあります。 城はその最深部、現市街地のほぼ中央に鎮座し、慶長元(1596)〜6(1601)年の藤堂高虎創建時には大半が海に面する地形を巧みに活かした縄張となっていました。 石垣や天守、櫓は、慶長20(1615)年に入部した伊達家により修築されていきますが、 基本的な城構えは高虎時代のものを踏襲していました。

現在、堀は全て埋められ、三之丸をはじめ総郭部分約28万uは失われてしまいましたが、 本丸・二之丸等の郭を含む約10万uの城山は、国史跡(昭和12年)に、 現存12天守の1つに数えられる天守は国重要文化財(昭和9年)、 そして南側登城口城門の上り立ち門は市指定文化財(昭和38年)に指定されています。 また城山には450種の草木が生い茂り、苔むした石垣群と織り成す幽玄の美の世界は、一見の価値があります。


華麗さと格式を併せ持つ天守

藤堂高虎が創建したとされる望楼型天守を、宇和島伊達家2代宗利が寛文6(1666)年頃に、 3重3階総塗籠式、層塔型に再建したものが現在の天守です。

各階の装飾性の高い破風や懸魚などから太平の世を象徴するものとして評されるとともに、 小さいながらも御殿建築の意匠が随所に見られ、非常に格式を重んじた造りとなっています。

万延元(1860)年、昭和35年に大修理を受けていますが、往時の姿を今もなお伝えています。


上り立ち門

城山南側の弱手道口に位置し、武家の正門とされる薬医門形式となっています。 現存する薬医門としては、最大級であるだけでなく創建年代が最古の慶長期まで遡る可能性を秘めた、 貴重な建造物です。


山里倉庫(城山郷土館)

弘化2(1845)年三之丸に建てられた武器庫で、現存例の少ない稀少な建物です。 昭和41年、伊達家より譲渡され、城山内に移築、 城山郷土館として一般公開し、宇和島ゆかりの偉人・賢人の展示を行なっています。


藩老桑折氏武家長屋門

城山東北側の登城口に位置する長屋門です。 家老桑折家屋敷地に残されていたものを、昭和27年桑折家より譲渡を受け、 現位置に移築、長屋の一部は失われていますが、市内には数少ない武家屋敷の建造物です。

宇和島城 パンフレットより


宇和島城

リアス式海岸最深部の湾頭丘陵部に築かれた海城で、梯郭式平山城の形態となる。 慶長年間(1596〜1601)に藤堂高虎が近世城郭化を計り、 寛文年間(1664〜1671)には宇和島伊達家2代藩主宗利が大改修を施した。 3層3階層塔型で総漆籠式となる天守は、本丸中央に独立して建ち、 各階に装飾としての破風や長押が見られることなどから、 太平の世を象徴する華麗且つ格式高い天守として評されている。 堀など外郭は市街化されてしまったが、城山内では郭の遺存状況が良く、 苔むした石垣が約400種の草木からなる照葉の森と相まって幽玄の世界を醸し出している。


宇和島城は慶長元〜6年(1596〜1601)、 築城の名手と呼ばれた藤堂高虎によって戦国時代の山城から近世の海城へと生まれ変わりました。 当時は大半が海に面する地形を巧みに活かした縄張でした。 石垣や天守、櫓は、元和元年(1615)に入部した伊達家により修築されますが、 基本的な城構えは高虎時代のものを踏襲しています。 堀は全て埋められ、三之丸をはじめ総郭部分約28万uは失われていますが、 本丸・二之丸等の郭を含む約10万uの城山は、国史跡(昭和12年)に、 現存12天守の1つとなる天守は国重要文化財(昭和9年)、 そして南側登城口城門の上り立ち門は市指定文化財(昭和38年)に指定されています。 また城山には約430種の草木が生い茂り、苔むした石垣群と織り成す幽玄の美の世界は、一見の価値があります。


市指定有形文化財

桑折氏武家長屋門

家老桑折氏の武家長屋門。昭和27年、戦後の復興事業に伴う道路拡張に伴って撤去せざるを得なくなり、 桑折氏の好意により現在の位置に移転。 建築年代は不明で、元禄16(1703)年以後の屋敷替えとなった際に改造されたとも推測しています。 元々、桁行は35mでしたが、移転時に門番等の居住空間であった左室を撤去、 約半分の15mとなっています。 窓の増設や馬屋だった右室も居住部屋に改築されていますが、宇和島城下で唯一現存している武家長屋門として貴重な建造物で、昭和38年に市指定文化財となりました。


史跡 宇和島城

天守

●高さ   15.72m

●面積   212.75u

●形態   三重・三階

      層塔型

      独立式

藤堂高虎が創建した望楼型天守を、宇和島伊達家2代藩主・宗利が、 寛文年間(1667〜73)の城郭全体の大改修にあわせて、 当時の最新式の層塔型に新造したものが、現在の天守です。 各階の装飾性の高い飾り破風や懸魚、いずれの面も左右対称となるよう配置された武者窓、 またその上下に廻されている長押などから太平の世を象徴するものとして評されるとともに、 小さいながらも御殿建築の意匠が随所に見られ、非常に格式を重んじた造りとなっています。 万延元年(1860)、昭和35年(1960)に大修理を受けていますが、 現存する12の天守の一つとして重要文化財に指定され、往時と変わらない姿を伝えています。


宇和島伊達家の誕生【慶長20年(1615)】

宇和島伊達家は、伊達秀宗天正19年(1591)?明暦4年(1658)】を藩祖とする大名家です。 秀宗は伊達政宗と側室・新造の方との間に長男として誕生(幼名:兵五郎)、 岩出山(現・大崎市)で家督後継者として育てられますが、 わずか4歳で天下人・豊臣秀吉へ人質として差し出されます。 しかし、兵五郎は秀頼(幼名:拾丸)の遊び相手として大切に育てられ、 6歳元服の折には、秀吉の一字を拝領して、「秀宗」と名乗ることとなります。 秀吉没後、政宗は徳川に組したため、秀宗は関ヶ原合戦直前に監禁されますが、 徳川方の勝利で秀宗は危うく難を逃れます。 その後の慶長7年(1602)9月、政宗は12歳の秀宗を家康に拝謁させ、今度は徳川家の人質となるのです。 そして慶長15年(1610)には、政宗・正室愛姫の子、虎菊丸が徳川秀忠の一字を拝領、忠宗と名乗り、 仙台伊達家の後継者となることが決まってしまいます。

慶長19年(1614)11月、家康が豊臣家を滅ぼすために大坂冬の陣を起こすと、 政宗・秀宗父子は、1万人の兵を率いて徳川方に参戦。 政宗の幕閣へ働きかけもあり、冬の陣の功績として、当時幕府直轄だった宇和郡10万石が、秀宗に与えられます。 秀忠は伊達秀宗を国持大名格とし、慶長20年(1615)3月18日、秀宗25歳のとき、 「五十七騎」とともに板島丸串城(現・宇和島城)に入城、これをもって宇和島伊達家が誕生するのです。 将軍家から10万石を与えられたため、宇和島伊達家は仙台伊達家の分家ではなく、 総家と支家という血縁のみのつながりで、明治を迎えるまで9代に渡って宇和島を治めました。

案内板より


宇和島城〈鶴島城> 天守(重要文化財)城跡(史跡)

宇和島城は湾頭の丘陵に築かれた平山城で、慶長年間、藤堂高虎によって築城され、 寛文2年から5年にかけて伊達宗利により大改修されたものである。 天守は独立式で3層3階本瓦葺、白壁の総塗ごめ造りで荘重である。 正面最上層の屋根に唐破風、二層に大型の千鳥破風、その下に二つの千鳥破風を並べ、 最下層にこれらの総てを受けた玄関に大型の唐破風がある。 これらは各層の屋根とよく調和して、美しい姿と安定感をもち、江戸時代初期の貴重な天守となっている。 なお、上り立ち門(市指定)や二の丸・藤兵衛丸・長門丸・代右衛門丸などの石垣遺構もよく保存されている。


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