京都 修学院離宮(しゅうがくいん りきゅう)      Kyoto Shugakuin Imperial Villa    19.Feb.2010 天空仙人の旅のかけら

修学院離宮

宮内庁 参観案内

桂離宮 パノラマ版桂離宮 通常版京都御所

修学院離宮 写真
「浴龍池と西浜」

修学院離宮 写真
「浴龍池と千歳橋」

修学院離宮 写真
「浴龍池」

修学院離宮 写真

修学院離宮 写真
「中離宮から上離宮への松並木」

総門・下離宮

修学院離宮 総門 写真 修学院離宮 御輿寄 写真
「総門」「御輿寄」
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修学院離宮 寿月観 写真 修学院離宮 寿月観 写真
「寿月観」「寿月観」
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修学院離宮 寿月観 写真 修学院離宮 寿月観 写真
「寿月観」「寿月観」
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修学院離宮 寿月観 写真 修学院離宮 寿月観 写真
「寿月観」「寿月観」
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中離宮

修学院離宮 下離宮から中離宮へ 写真 修学院離宮 中離宮 写真
「下離宮から中離宮へ」「中離宮」
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修学院離宮 写真 修学院離宮 写真
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修学院離宮 楽只軒 写真 修学院離宮 楽只軒 写真
「楽只軒」「楽只軒」
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修学院離宮 楽只軒 写真 修学院離宮 楽只軒 写真
「楽只軒」「楽只軒」
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修学院離宮 写真 修学院離宮 写真
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修学院離宮 客殿 写真 修学院離宮 客殿 写真
「客殿」「客殿」
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修学院離宮 客殿 写真 修学院離宮 客殿 写真
「客殿」「客殿」
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上離宮

修学院離宮 隣雲亭 写真 修学院離宮 隣雲亭 写真
「隣雲亭」「隣雲亭」
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修学院離宮 写真 修学院離宮 写真
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修学院離宮 窮すい亭 写真 修学院離宮 窮すい亭 写真
「窮すい亭」「窮すい亭」
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修学院離宮 窮すい亭 写真 修学院離宮 窮すい亭 写真
「窮すい亭」「窮すい亭」
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修学院離宮 千歳橋 写真 修学院離宮 千歳橋の鳳凰 写真
「千歳橋」「千歳橋の鳳凰」
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修学院離宮 浴龍池 写真 修学院離宮 浴龍池 写真
「浴龍池」「浴龍池」
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修学院離宮 浴龍池 写真 修学院離宮 浴龍池 写真
「浴龍池」「浴龍池」
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修学院離宮 楓橋 写真 修学院離宮 土橋 写真
「楓橋」「土橋」
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修学院離宮 写真 修学院離宮 船着き場とサギ 写真
「船着き場とサギ」
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修学院離宮

Kyoto Shugakuin Imperial Villa

京都府京都市左京区修学院藪添

アクセス

叡山電鉄 修学院駅から 徒歩20分

市バス 修学院離宮道から 徒歩15分


■概説

比叡山の麓、東山連峰の山裾に造られた修学院離宮は、上・中・下の三つの 離宮(御茶屋)からなり、上離宮背後の山、借景となる山林、それに三つの離 宮を連絡する松並木の道と両側に広がる田畑とで構成されている。総面積54 万5千uを超える雄大な離宮である。明治期に宮内省の所管となるまでは離 宮を囲む垣根も全周にはなく、自然に対して開放された山荘であった。

下離宮には、創建時では最大の建物の彎曲閣(わんきょくかく)があったが、比較的早い時期 に失われ、今は南を庭園に囲まれた寿月観(じゅげつかん)が残っている。中離宮には、楽只 軒と客殿があり、やはり南に庭がある。上離宮は、修学院離宮の本領であって、 谷川をせき止め浴龍池(よくりゅうち)と呼ぶ大きな池を中心にすえた回遊式庭園となってい る。その浴龍池を一望におさめる東南の高みには隣雲亭(りんうんてい)、中島に窮邃亭(きゅうすいてい)があ る。山麓に広がる離宮のため上と下の離宮の標高差は40m近くあり、大小の 滝に加え水流の早い小川もあり、どこにいても絶えず水の音を聴くことができ る。昔は畦道にすぎなかった松並木から眺める風景もまたすばらしい。

京都御所、京都大宮御所、仙洞御所、桂離宮とともに皇室用財産(国有財産) として宮内庁が管理している。


■修学院離宮の歴史

修学院の名は、10世紀後半ここに修学院という寺が建立されたのが始まりで あった。南北朝時代以後この寺は廃絶したが、地名は修学院村として残った。 修学院離宮は、桂離宮におくれること30余年、明暦元年から2年(西暦1655〜 1656年)にかけて後水尾上皇によって造営工事が起こされ、万治2年(1659年) に完成した山荘である。離宮の造営より早く上皇の第一皇女梅宮が得度して、 現在の中離宮付近の円照寺に草庵を結ばれていたが、早くから別荘としての 適地を探しておられた上皇は円照寺を大和の八嶋に移し、上と下の二つから なる御茶屋を建設した。幕府との間に緊張が続いた時代であっただけに、短 期間にこれほど大規模な山荘を造営し得たことは一つの驚異でもある。中の 御茶屋は創建当時の山荘にはなかったものであるが、上皇の第八皇女光子内 親王(朱宮あけのみや)のために建てられた朱宮御所に東福門院(後水尾上皇の皇后、将 軍徳川秀忠の娘和子)亡き後の女院御所の建物を一部移築して拡張した。上 皇崩御の後、光子内親王は落飾得度してこれを林丘寺となされた。明治18年 (1885年)林丘寺門跡から境内の半分が楽只軒、客殿とともに宮内省に返還さ れたので、離宮に編入したものである。昭和39年(1964年)上・中・下の各離 宮の間に展開する8万uに及ぶ水田畑地を買い上げて付属農地とし、景観保 持の備えにも万全を期して今日に至っている。


■下離宮

寿月観

柿葺の屋根と花菱紋の透かし彫りが施してある板戸の御幸門から下離 宮に入る。さらに中門を潜ると眼前に庭園がひらけてくる。左手の緩やかな石段の上には寿 月観の玄関「御輿寄」が見える。袖形灯籠、朝鮮灯籠等を配した苑路を上ると寿月観の前に出る。 創建当時のものではないが、文政年間に旧規のとおりに再興されたもの で、一の間に掛かる「寿月観」の扁額は後水尾上皇の宸筆である。下離宮は、上離宮への 拠点でもあり、今はない彎曲閣とともに相当のもてなしのできる設備が備わっていたと思わ れる。建物は柿葺入母屋数寄屋風造りとなっている。 一の間は十五畳で三畳の上段を設け、一間半の床と琵琶床、飾棚がある。その棚の戸 袋には鶴の絵、下の地袋には岩と蘭の絵が描かれ、筆者はともに原在中である。また、襖 四枚には虎渓三笑の絵が岸駒により描かれている。ここには後水尾上皇のお好みの菱形模 様が多く用いられている。 二の間の正面に杉戸があるが、光格上皇のお好みの物で仙洞御所から移したと伝えら れている。絵は夕顔の絵で筆者は不詳である。杉戸の内側はお水屋になっている。 三の間はお供の控えの問で襖絵は箔博で、筆者は簡朱豊彦である。南妻に 後水尾上皇の衰筆による蔵六庵の扁額が掛かっているが、蔵六庵は別棟にあ った建物で今はすでにない。三の間の奥は五畳の間であり、ここの肘掛窓か ら覗く外景は四季を通じて美しい。 御幸門と相対する位置にある東門から出ると視界が大きく開け、田圃の向う に比叡の霊峰から東山、北山の山並みが一望される。


■中離宮

楽只軒(らくしけん)

楽只軒は,光子内親王の朱宮御所の最初の建物であり、その後、御所は 拡張整備されて林丘寺となった。かなり古い建物で、現在の林丘寺にあ る扁額の年紀銘から推察すると寛文8年(1668年)かその前年に創建されたものと思われる。南側には庭に面して 広縁を設け、床を低くとり庭との一体感を深めている。特別な技巧は凝らして いないが、簡素な中にも趣があり、いかにも内親王の御所らしい。 手前六畳は一の間で吉野山の桜が描かれ、奥の間は二の間で龍田川の紅葉が描かれている。筆者はともに狩野探信(探幽の子)である。

客殿

楽只軒の東南の高みに工夫のある階段でつながれた客殿がある。延宝6年 (1678年)東福門院が亡くなられた後、天和2年(1682年)光子内親王のために 女院御所の奥対面所から移築したものである。入母屋造り木賊葺の席の深い 屋根を持ち、板戸を建て、濡縁を回して、その一部に「網干の欄干」と呼ばれ る漁村で網を干した形を表している低い手すりを付けている。

一の間は十二畳半で、一間半の飾り棚を構えるが、互い違いに配された大 小五枚の棚板がいかにも霞がたなびいているように見えることから霞棚と呼ば れ、桂離宮の桂棚、三宝院の醍醐棚とともに天下の三棚と称されている。戸袋 には更紗模様、地袋には友禅染、引手は羽子板の形、花車を形どった七宝流 しの釘隠など、女性のお住まいらしい華やかさが現れている。床、襖、壁には 和歌や漢詩の色紙を張り交ぜるなど雅を極めている。加えて、随所に見られ る飾り金具には葵の紋が配されており、徳川家から嫁いだ東福門院の背後に ひかえる幕府の権勢が示されているようである。 また、祇園祭の鉾の絵を描いた杉戸の筆者は住吉具慶と言われ、 鯉の絵の筆者は不祥であるが、鯉の絵の網だけは円山応挙の筆と伝 えられている。


■上離宮

大刈込み

上離宮に上る松並木の道(御馬車道)から左手前方に大刈込みが見える。谷川を せき止めて浴龍池を作った土堤に石垣で四段に土留め をし、その石積みを目隠しするために数十種類の常緑樹を混植した生垣であ る。四囲の自然とよく調和している。

隣雲亭

上離宮の御成門を入ると高い刈込みの間をぬって急な石段を上る。両側の刈込みで視 界をさえぎられ、石段がカーブしているので上りつめたところに何が待ちうけているの 世か見当もつかない趣向が奇抜 である。頂上に隣雲亭がある。ふり向けば眼下に浴龍池が展開し、洛北の 山々が見渡せる。ずっと左手に洛中の街並みがひろがり、その向うに西山の 峰々が望まれる。天下の眺望ここに極まった感じであり、後水尾上皇のお心 意気を見る思いである。隣雲亭は文政年間の再建になるものであるが、浴龍 池に面しては六畳の一の間と三畳の二の間があり、床も棚もなく一切の装飾を 拒んで自然に立ち向かうのみである。北には谷川に臨んで板の間があり、 洗詩台という。三方を開け放せば、吹き抜ける風も、木立の奥に6m余りを流 れ落ちる雄滝の水音も全くほしいままである。深い軒下のたたきは、漆喰に小 石を一つ、二つ、三つと埋め込み、俗に「一二三石」などと呼ばれている。

窮邃亭

長さ二間余りの欄干付き木橋の楓橋を渡ると中島の頂上に宝形造りの茶屋 窮邃亭がある。文政年間に修復はあったものの創建当時の建物で現存する唯 一のものである。「窮邃」の扁額は後水尾上皇の宸筆である。十八畳と附属の 水屋の一間からなり、一隅に直角に折れて畳一枚高くした上段を設け、上段西側いっぱい に低く一枚板を渡して御肘寄としている。


浴龍池

島の形を泳ぐ龍の姿に見立てたものと言われている。池を巡って苑路があ り、千歳橋と呼ばれる石橋が、窮邃亭のある中島と浴龍池の中島(万松鳩)と をつないで架けられている。切り石を組んだ橋脚二基に一枚石を渡し、二つ の橋脚に宝形造りと寄棟造りの四阿風なものを建ててこれをつないでいる。 いかにも中国的な感じで自然に溶け込まず異和感があるが、それもまたアンバ ランスの美といえる。紅葉谷や三保ヶ島の物静かな景観と大刈込みの上に位 置する浜辺の西浜は明るくのびのびとした風景であり、対照的に展開する。 浴龍池は御舟遊びの場であり、島々を廻りながら管弦や詩歌の会などが行われた。

修学院離宮 しおり より


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