木曽路 妻籠宿   28.July.2014          天空仙人の旅のかけら

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木曽路 妻籠宿 寺下の町並み
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「妻籠宿 本陣」「妻籠宿 本陣」
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「妻籠宿 脇本陣」「妻籠宿 脇本陣」
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「光徳寺」「光徳寺」
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「高札場」「水車」
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木曽路 妻籠宿

長野県木曽郡南木曽町


妻籠宿は室町時代末期には、すでに宿場として成立していたと考えられ、 慶長七年(1602)幕府が中山道に六十七宿を定めたとき、妻籠もその一つとなった。 

保存地区は東西約3.8キロメートル、南北約5.5キロメートル、面積約1,245.4ヘクタールで地区内に233棟の伝統的建造物があり、 地域的に宿場、寺下、在郷の三地区に分けられる。

宿場は、上、中、下町を中心とし、本陣、脇本陣、間屋がおかれた。 建物は出梁により二階を張り出した切妻造平入が特徴で、江戸時代末期から明治にかけて再建されたものが多く、大規模な建物が多い。

寺下は光徳寺の門前町の形態となし一般に間口が狭く建物は小規模である。

在郷には旧中山道に面した町家風の建物と附近に点在する農家がある。

妻籠宿では、昭和四十三年から町並保存事業が行われ、五十三棟の復原を完了し、今後長期にわたり整備を行う予定である。 宿場保存の中心は住民の総意で宣言した『妻籠宿を守る住民憲章』といえよう。

昭和五十二年三月

文部省 南木曽町 案内板より


脇本陣奥谷

代々脇本陣・問屋を勤めた家で、現在の建物は明治10年にそれまで禁制であった檜をふんだんに使い、当時の粋を集めて建てたものです。 また、島崎藤村の初恋の相手「ゆふ」さんの嫁ぎ先でもあります。 平成13年6月、国の重要文化財に指定されました。


瑠璃山光徳寺

伝承によれば光徳寺は、明応九年(1500)に悟渓和尚によって開山されたということであるが、 史科的には「本尊薬師瑠璃光如来奉刻彫勧進帳」によって、慶長四年(1599)にはその設立が確実に認められる。

光徳寺の庫裏には、幕末から明治にかけての住職遂応和尚によって考案設計された、 人力車の祖型ともいうべき「車付駕籠」(町有形文化財)が保存され、 また境内には樹齢250年余の「枝垂桜」(町天然記念物)がある。


寺下の町並み

妻籠宿は全国で初めての集落町並み保存に着手し、昭和43年より、寺下の町並みを中心に復元保存工事を始め、江戸時代の面影を残すことができました。

生活と保存を一体化させる運動を、町民と行政、学者の三者一体で始めたところに妻籠宿の特徴があります。

古い町並みを保存することは、環境を守り心を守り、歴史を生きたまま受け継いでいくことです。

このようにして一見無人家とも思われる家々でも、人々はくらしているのです。


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