鹿児島 仙巌園(磯庭園)
           Sengan-en Garden
              20.Dec.2016
            天空仙人の旅のかけら
仙巌園 Official Page
鹿児島 仙巌園(磯庭園)から桜島を望む 写真
「仙巌園(磯庭園)から桜島を望む」

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「千尋厳」
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「正門」「錫門」
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「御殿」「望嶽楼」
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「江南竹林」「江南竹林」
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紅葉

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鹿児島 仙巌園(磯庭園) Sengan-en Garden

鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1

9700-1,Yoshino-cho,Kagoshima-shi,Kagoshima


国指定名勝文化財 仙巌園 通称 磯庭園

島津氏は、十二世紀末、源頼朝から島津荘地頭職、薩摩・大隅・日向三ヶ国の守護職に任命された惟宗忠久が、島津を名乗ったことにはじまります。

江戸時代になると、島津氏は、琉球の支配も認められ、72万石の外様大名として南九州を統治し続けました。

磯庭園は正式名称を仙巌園といい、万治元年(1658)、19代島津光久が鎌田出雲政近の大磯下津浜門屋敷を御用地と成し、御仮屋を建てたのが始まりとされています。 島津藩ではすでに18代島津家久が城山に鶴丸城を建て、島津氏の居城としており、仙巌園に建てられた御殿は、島津家の別邸として代々の藩主に受け継がれました。

江戸時代中期、21代吉貴の代には、中国より江南竹が移植され、曲水の庭が作庭されたと伝わっています。 また、27代の斉興の代には、庭地拡張が行われ、同時に千尋巌、集仙台、筆塚なとが造られました。 さらに、廃藩置県後には29代の忠義が移り住み、正門が造られ、ほぼ現在の形に整えられました。

なお、この仙巌園は、昭和33年(1958)に、名勝として国の文化財に指定されています。

案内板より


千尋巖

岩に彫られた「千尋巖」の文字は、文化11(1814)年、27代島津斉興の時代に延べ3,900人あまりの人員で3ヶ月をかけて刻まれたものです。 また、作業用の足場は杉や竹で組まれました。 3文字で約11mもの大きさがあり、胡粉という顔料で塗られています。 景勝地の岩に文字を彫ることは中国でよく見られますが、ここも中国文化の影響がうかがえます。


江南竹林

元文元(1736)年、21代島津都吉貴は中国の孟宗竹(江南竹)を琉球王国から2株取り寄せ、仙巌園に植えました。 おいしい筍で知られる孟宗竹は、ここから全国に広まりました。


御殿

磯の御殿は、万治元年(1658)、19代島津光久が御仮屋を建てたのが始まりとされている。 その後、屋敷の南側に一亭を構え、落成の日に鶴が亭前に舞い降りたことから、 喜鶴亭(きかくてい)と名付けられた。 以後、この御殿は島津家の別邸として使用されてきた。

明治4年には、廃藩置県が行われ、島津家の居城であった鶴丸城が島津家の手を離れたため、 島津家の鹿児島での生活の場は磯に移った。 そして、明治17年(1884)には、磯の御殿は大規模な改築を行い、 その改築の費用は当時のお金で、3535円21銭6厘だっとという。 明治21年(1888)には、29代島津忠義がこの御殿に住み、一時本邸として使用されていた。

現存する建物は明治17年の約二分の一で、25部屋余りとなっている。 庭園に面した部分は、当時当主であった忠義が使用していた部屋で、寝室、居間、謁見の間など8部屋余りからなっている。 


正門

29代島津忠義が、明治28年(1895)に建てさせた正門。 島津家の家紋である丸十紋と桐紋が彫り込まれている。


錫門

錫門(すずもん)は、かつて薩摩藩の特産品であった錫で屋根を葺いた朱漆塗りの門です。 錫瓦葺きの建造物としては、わが国唯一のもので、嘉永元年(1848)の庭地拡張までは、 仙巌園の正門として使用されていた。

この門は、19代島津光久の時に建てられたと伝えられており、その優美な姿を今日に伝えている。


望嶽楼

望嶽楼は江戸時代初期に琉球王国から薩摩藩に贈られたと伝わるものです。 床に敷かれた 千尋巖 セン(せん)とよばれる273枚の敷き瓦が、 中国秦時代(紀元前3世紀)の阿房宮のものを写したといわれ、 内部に掲げられた扁額は、中国東晋時代(4世紀)の書家・王羲之の書を模したものと伝えられている。

かつて勝海舟も異国情緒あふれるこの建物で、島津斉彬と対面した。


曲水の庭

曲水の庭は曲水の宴を催すために造られた庭です。曲水の宴とは上巳(じょうし)の節句の日、 上流から流された杯が自分のもとにたどりつくまでに和歌・漢詩を詠みあげるというもので古代中国に源流を持ち、 本来は心身の汚れを祓いおとすという行事だった。

仙巌園の曲水の庭は21代島津吉貴の時代に作られたといわれている。 昭和34年(1959)に発掘された、江戸時代の姿をとどめる日本で唯一にして最大の曲水の庭です。


仙嚴園名勝庭園 史跡

万治元(1658)年、島津家2代光久はこの地に別邸を築造しました。 桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な庭園は四季折々の表情で人びとを魅了します。 園内には奇岩「千尋厳」や琉球国王献上の楼閣「望嶽楼」など各所に中国や琉球の影響が見られます。 海を越えて外国と交流した海洋国家薩摩らしい見どころです。 御殿・庭園や大名家ならではの季節の行事に加え、四季折々の花が咲き乱れる仙巌園は、鹿児島を代表する観光地。 28代斉彬はこの地を愛し、篤姫、勝海舟、グラバー、ロシア皇帝ニコライ2世など、多くの方がここを訪れました。 南国の濃厚な自然に包まれて悠久の歴史を育む仙巌園も、 その一部が「明治日本の産業革命遺産」の構成資産「旧集成館」として世界文化遺産に登録されています。


錫門

薩摩では良質な錫が採掘されていました。 その象徴とも言える鋼板葺きの門。 正門として造営され、27代斉興の庭地拡張によって中門となりました。 かつては、当主と嫡男のみが通ったといいます。 朱塗りの柱と白い錫屋根のコントラストをご鑑賞ください。


御殿

庭園越しに眺める借景、桜島の雄大さはまさに南国の名園。 国の名勝庭園に指定されています。 島津忠義が使用した部屋や30代忠重が幼少期に暮らした部屋など、優雅な邸内の風情は、 御殿ガイドツアー(お抹茶・お茶菓子付き)でお楽しみいただけます。※有料


集成館

幕末、藩主斉彬はこの地に東洋最大の工場群集成館を築きます。 製鉄、大砲、造船、紡績、薩摩切子などのガラス、薩摩焼の研究・製造を行い、 写真、電信、ガス灯などの実験・研究も盛んに行いました。 欧米列強による植民地化をおそれ、いち早く強く豊かな国づくりを目指したのです。 斉彬の急死によって事業は縮小されますが、29代忠義は父久光とともに集成館事業を再興。 機械工場(現、尚古集成館本館)を建設し、日本初の洋式紡績工場「鹿児島紡績所」を設立しました。 旧集成館(史跡)や旧集成館機械工場を含む「明治日本の産業革命遺産」は、2015年に世界文化遺産に登録されました。 日本を強く豊かな国にしたいという斉彬たちの熱い思いが 今、世界から注目されています。


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