旧島津公爵邸    
         Kyu-Shimadu-koshaku-tei 
            天空仙人のレトロ建築探訪
               Nostalgic & 
                      retrospective buildings
                                      in Japan
名称旧島津公爵邸

Kyu-Shimadu-koshaku-tei

清泉女子大学本館

所在東京都品川区東五反田3-16-21
設計者ジョサイア・コンドル建築1915年(大正4年)竣工

清泉女子大 Official Page


旧島津公爵邸
「旧島津公爵邸」

旧島津公爵邸
「旧島津公爵邸」

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「旧島津公爵邸」「旧島津公爵邸」
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東京都指定有形文化財

清泉女子大学本館

(旧島津公爵邸)

1.沿革

この地は、寛保3年(1743年)仙台伊達藩の下屋敷(敷面積22,670坪)として開発され、 明治6年(1873年)に島津家の所有に移るまで約130年間使われた。

島津家では、この地が「袖ヶ崎」と呼ばれていたところから、「袖ヶ崎邸」として、 桜田にあった旧島津藩上屋敷とは別に、公式行事の開催場所に使用し、大正12年(1923年) 関東大震災後に本邸とした。 袖ヶ崎邸は、当初伊達藩の木造家屋をそのまま使用していたが、老朽化が進んだため、 英国風の洋館に改築することを計画し、日本政府の招きにより来日し工部大学校建築学科の教授であった英国人J.コンドルに、 明治39年(1906年)設計を委嘱し、その後数度の設計変更を経て、大正4年(1915)に建物の竣工をみ、 その後館内の設備や調度が整えられ、大正6年(1917年)に落成披露が行われた。

2.館内施設の配置

建物は地上2階地下1階の構造となっている。 島津公爵邸時代は、地下は主としてボイラー室、作業室、倉庫等に使用され、 地上1階は島津家の公式のエリアとして応接室、バンケットルーム、書斎等に使われ、 2階はプライベートなエリアとして、公爵夫妻の私室、家族の私室等に使用された。 島津邸当時の見取り図は次の通りで、括弧の巾は現在使用のものである。

3.その後の沿革

昭和初期に金融恐慌のあおりで島津家も財政的な打撃を受け、 当初約3万坪あった敷地を昭和4年(1929年)には8千余坪を残し、周辺部を売却した。 その後第二次世界大戦の苛烈化に伴い、大邸宅の維持が困難となり、島津家は袖ヶ崎邸を日本銀行に売却した。 戦中、戦災を免れた邸宅は、戦後昭和21年(1946年)1月にGHQの管理下に人り、 駐留軍の将校宿舎として昭和29年(1954年)まで使用された。 接収解除後の昭和36年(1961年)7月に、清泉女子大学は日本銀行から土地、建物を購入し、 昭和37年(1962年)4月に横須賀から大学を移転して、今日に至っている。 平成24年(2012年)、本館が旧島津公爵家袖ケ崎本邸洋館(清泉女子大学本館)として束京都指定有形文化財(建造物)に指定され、 平成25年(2013年)にはBELCA賞(ロングライフ部門)を受賞した。

4.建築様式及び意匠

島津邸は煉瓦造、地上2階地下1階建、建坪約280坪の大邸宅である。 建築様式はルネッサンス様式であるが、特にベランダの柱頭飾りは、 1階がトスカーナ様式、2階がイオニア様式で古典主義の規範に従っている。 また南側の芝庭に面して円弧状のベランダや同じく円弧状に突き出た窓などバロック的な要素も加味されている。 外壁は当時最先端のデザインだった白タイル貼りで、 建物のアウトラインを強調するかのように貼られた隅石には灰色の新小松石が使われている。 また、関東大震災にも揺るぐことのなかった堅牢な建築もある。

建物全体は丁字型で、1階はほぼパブリック・スペースで南側の接客部分と北側の使用人部分からなり、 2階は家族のプライベート・スペースである。 1階は大小の応接室が南側の芝庭に面して並び廊下でつながれ、その廊下は玄関ホールに向かっている。 このホールを中心に、公爵の書斎、大食堂と家族の食堂、階段室と玄関室が配されている。 2階には公爵夫妻の寝室や子供室、浴室などがあり、暖炉の枠は1階が大理石であるのに対して、2階は木製である。 しかし、1階と同様の円弧状の窓のある夫人客室の暖炉だけが白い大理石製であるのは、 大正天皇皇后の行幸啓時に眺めの良いこの部屋を便殿(休憩所)として使用する予定があったからだと考えられる。 階段の手摺や暖炉の彫刻、天井の漆喰装飾やステンドグラスは、ほぼ当時のままの姿で残されている。

旧島津公爵邸はコンドルの設計による数少ない現存住宅建築の遺作として、彼の晩年の力作の一つに数えることができるものである。

パンフレットより


〜都指定有形文化財(建造物)〜

旧島津公爵家袖ヶ崎本邸洋館(清泉女子大学本館)

(指定:平24.3.21)

旧島津公爵家袖ヶ崎本邸洋館(清泉女子大学本館)は、旧鹿児島藩主であり公爵であった島津家の邸宅として、 大正6年(1917)に完成しました。 通称島津山、古くは袖ヶ崎と呼ばれた南へ突き出た見晴らしのいい高台にあり、 南斜面に群生するキリシマツツジも見事です。 関東大震災でもほとんど被害のなかった堅牢な造りで、昭和37年(1962)からは清泉女子大学の本館として利用されています。 建物は日本近代建築史に足跡を残したジョサイア・コンドルにより設計され、古典様式を基調とした優れた意匠を持ちます。 庭に面した南面は、円弧状の列柱廊を持つ優雅なバルコニーとなっていて、当時流行した白タイルを用いた外装が特徴です。 中央ホールは木製の大階段と一体となった豪華で重厚な大空間で、建物の中心です。 晩餐会が開かれた旧大食堂やサロンなどにも当時の雰囲気が良く残されています。 玄関を飾るステンドグラスや、大理石の暖炉の彫刻には「丸に十の字」の島津家家紋が見られます。 天井の繊細な浮彫り彫刻なども見事です。

東京都教育庁 東京文化財ウィーク Post Cardより


平成26年10月29日に旧島津公爵家袖ヶ崎本邸 洋館(清泉女子大学本館)が東京文化財ウィークの一環として 特別公開されたので写真を撮りに行ってきました。

五反田駅から徒歩約10分、かなりの坂道を登ります。 子供の頃、五反田に住んでいて島津山とか御殿山とか聞いたことがあるので、この辺りが島津山なのでしょうか。

女子大の構内に入る機会はあまりないので緊張しますね。

旧島津公爵家袖ヶ崎本邸

なかなか立派な洋館ですね。2階の一部は現在も授業に使われているようですね。 暇なジジババが沢山押し寄せて混雑していました。

花子とアンの宇田川女史のような和服姿の人の写真を撮っている人がいました。後ろ姿がなかなか素敵。失礼。


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