彦根城 Hikone-jo Castle 17.October.2013 天空仙人の名城めぐり
「彦根城」 |
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「ひこにゃん」 |
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「太鼓門櫓」 | |
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「天秤櫓」 | |
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「天守閣から琵琶湖を望む」 | |
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Hikone-jo Castle
滋賀県彦根市金亀町1−1
1-1,Kinkame-cho,Hikone-shi,Siga
彦根城 この彦根城は、慶長5年(1600年)井伊直政が、関ヶ原の戦いに徳川四天王の一人として抜群の功をたて、 この戦いに敗れた石田三成の居城佐和山城を与えられ、慶長6年(1601年)上野の国高崎城から佐和山城に移ってきた。 その後直政は城を彦根山に移そうと考えたが実現せず病死し、 慶長8年(1603年)その子直継が父直政の遺志をうけて彦根城の築城に着手した。 時の将軍家康は特に奉行を差し向け7ヶ国12大名にも応援させ、 元和8年(1622年)現在の彦根城が完成、築城をはじめてから実に20年の年月を要したもので、 城地面積約0.25ku(78,800余坪)周囲約4km(1里)、高さ約50メートルの彦根山に築城した平山城である。 昭和26年(1951年)に彦根城天守閣をはじめ天秤櫓・太鼓門櫓・三重櫓・佐和口多聞櫓を重要文化財に指定され、 さらに同27年(1952年)には天守閣を国宝に、同31年(1956年)には彦根城一帯を特別史跡に、 同38年(1963年)に馬屋を重要文化財にそれぞれ指定されている。 また、新日本観光地百選の一つとして琵琶湖八景「月明彦根の古城」として知られている。 城内 案内板より
天守 3階3重の天守。規模は比較的小ぶりだが、屋根は「切妻破風」「入母屋破風」「唐破風」を多様に配しており、 2階と3階には「花頭窓」、3階には高欄付き「廻縁」を巡らせるなど外観に重きを置き、 変化に富んだ美しい姿を見せている。 この天守は大津城(滋賀県大津市)の天守を移築したものと伝えられている。 城内 案内板より
指定文化財:解説シート 国宝 彦根城天守 彦根城と城下町の建設は、今からおよそ400年前の慶長9年(1604)に始まり、20年近い歳月をへて完成しました。 その中心をなしたのが、天守のある本丸です。 現在の本丸には天守の建物しか残っていませんが、かつては藩主の居館である「御広間」や「宝蔵」、 そして「着見櫓」なども建っていました。 天守は3階3重、つまり3階建て3重の屋根で構成されています。 規模は比較的小ぶりですが、屋根は「切妻破風」「入母屋破風」「唐破風」を多様に配しており、 2階と3階には「花頭窓」、3階には高欄付きの「廻縁」を巡らせるなど外観に重きを置き、変化に富んだ美しい姿を見せています。 天守の建物構造は、通し柱を用いないで、各階ごとに積み上げていく方式をとっており、 全体として櫓の上に高欄を付けた望楼を乗せる古い形式を残しています。 昭和32年から35年にかけて行われた解体修理により、墨書のある建築材が発見され、 天守の完成が慶長12年(1607)ころであることが判明しました。 また、建築材を克明に調査した結果、もともと5階4重の旧天守を移築したものであることも分かりました。 彦根藩主井伊家の歴史を記した『井伊年譜』には、「天守は京極家の大津城の殿守也」とあり、 彦根城の天守が大津城(滋賀県大津市)の天守を移築した可能性が考えられています。 戦争とともに発達したお城ですが、彦根城は一度も戦争を経験することなく平和な江戸時代を迎えました。 江戸時代には藩主が天守を訪れることも余りなく、天守には歴代藩主の甲冑などが収納されていました。 江戸時代の天守は、軍用建築というよりも、城下から見上げる彦根藩の象徴という役割を担っていたようです。 彦根市教育委員会文化財部文化財課
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