松本城
     Matsumoto-jo Castle
           11.Nov.2006
            天空仙人の名城めぐり

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松本城

Matsumoto-jo Castle

長野県松本市丸の内4−1

4-1,Marunouchi,Matsumoto-shi,Nagano


松本城と城下町

松本城はもと深志城と呼ばれ、中世には小笠原氏の一支城であった。 そのころすでに今の二の丸東側には市町が形成されていたが、西方一帯は沼地であった。 本格的な近世城づくいが始まったのは1580年代で、城郭と城下町一体の都市計画を推進したのは、 豊臣大名としてこの地に入った石川氏である。天守を建てたのは二代康長の時で1593〜94年と推定される。

三重の水堀と塁を巡らして郭の縄張りを行い、本丸と二の丸を内郭とし三の丸を外郭とした。 この広さはおよそ39万uで、内郭には天守、御殿、蔵など城主と藩の施設を置き 外郭は城主の親衛隊である上級家臣の屋敷地とした。 総延長3.5キロの塁上には透き間なく土塀をかけ、前面は完全囲繞の水堀で、 厳重な城門を構える虎口(枡形と馬出し)だけが場内への通路である。

城外は南から北へ通る善光寺街道に沿って城下町を割り、その東側に寺社を配置した。 城下の町筋は格子状のものより鍵の手やT字形交差が多い。 居住区分は厳格で士と、町人の混住はまったくなく、士や敷地は木戸の内と外に分けて中級と軽輩の居住区とし、 町人地は親町3町、枝町10町、24小路にランク付けして、身分と職業によって住まわせた。

左図は城郭の北東上空から南方を望む鳥瞰図である。

案内板より


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