松山城
     Matsuyama-jo Castle
            8.Dec.2013
            天空仙人の名城めぐり
松山城 Official Page
松山城 写真
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松山城

Matsuyama-jo Castle

愛媛県松山市丸の内

Marunouchi,Matsuyama-shi,Ehime


松山城の沿革

松山城は、海抜132mの勝山山頂に本丸、中腹に二之丸、山麓に三之丸(堀之内)を置く連郭式平山城で、 敵の侵入を防ぐため、二之丸を取り囲むように山麓から本丸にかけて、全国的にもめずらしい「登り石垣」が配されている。 松山城の創設者は加藤嘉明である。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いにおいて徳川家康側に従軍し、 その戦功を認められて20万石となった嘉明は、同7年に伊予正木(愛媛県松前町)から道後平野の中央にある勝山に城郭を移すため、 普請奉行に足立重信を命じて地割を行い工事に着手した。 翌8年(1603)10月に嘉明は居を新城下に移し、初めて松山という名称が公にされた。

その後も工事は継続され、寛永4年(1627)になってようやく一応の完成をみた。 当時の天守は五重で偉観を誇ったと伝えられる。 しかし嘉明は松山にあること25年、完成直前の寛永4年(1627)2月に会津へ転封される。 そのあとへ蒲生氏郷の孫忠知が出羽国(山形県)上の山城から入国し、二之丸の築造を完成したが、 寛永11年8月参勤交代の途中、在城7年目に京都で病没し、嗣子がいないので断絶する。

その後、寛永12年(1635)7月伊勢国(三重県)桑名城主松平定行が伊予松山15万石に封じられた。 寛永16年(1639)定行は、3年の年月をかけ、築城当時五重であった天守を三重に改築する。 これは地盤の弱さに起因する天守の安全確保とも、江戸幕府に配慮したためともいわれている。 ところが、9代松平定国(8代将軍徳川吉宗の孫)の天明4年(1784)元旦、落雷で天守が焼失した。 焼失後37年を経た文政3年(1820)、父定国の遺志を継いだ11代定通は、復興工事に着手するが、 着工16年にして、定通の逝去と作事場の火災で頓挫する。 これを引き継いだ12代藩主松平勝善は、弘化4年(1847)城郭復興に着手、 ようやく安政元年(1854)悲願の天守が復興した。 これが現在の天守で、姫路城と並ぶ典型的な連立式天守をもち、慶長期の様式を引き継ぐ、 わが国最後の完全な城郭建築といわれる。


松山城かわら版

天丸とまつ姫

「お城の住民票」を獲得!平成18年春に松山城のしゃちほこが81年ぶりに新しくなった。 その愛称を募集したところ、全国から約5000通の応募があり、 その中から「あ」のしゃちを「天丸」千葉県の石井さん、「うん」のしゃちを「まつ姫」東京、神奈川、千葉、愛媛、福岡の8人と決定。 平成18年6月には市長から「お城の住民票」の交付を受けた。

松山城天守の不思議

天守とは戦闘のときにこそ、その存在価値がある。 防衛の要として一大事のときにだけ籠城。 日ごろは城主やその側近らが足を踏み入れることもなく、生活の場ではないのでトイレも炊事場もない。 床は板張りで天井板もないのが通例だ。 ところが松山城は一重、二重、三重とも天井板があり、畳の敷ける構造になっている。 さらには床の間もしつらえられ、襖を入れるための敷居まである。これは何を意味するのか。 当時の城主、12代松平勝善はここを何の用途にしようとしたのか、定かではない。

松山城 パンフレットより


松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立つ松山城は、賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で有名な七本槍の1人、加藤嘉明が築き始めたお城です。

門櫓・塀を多数備え、狭間や石落とし、高石垣などを巧みに配し、攻守の機能に優れた日本一の連立式天守を構えた平山城と言われております。

松山城は、日本で12か所しか残っていない「現存12天守」のうちのひとつ、 江戸時代以前に建造された天守を有する城郭の一つです。 平成18年に「日本100名城」、平成19年には道後温泉とともに「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されました。

また、日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓や、 「現存12天守」の城郭では松山城と彦根城しか存在が確認されていない、 韓国の倭城の防備手法である「登り石垣」が二之丸から本丸にかけてあり、 堀之内を含む城山公園全体が国の史跡で、「日本さくら名所100選(平成元年)」や 「日本の歴史公園100選(平成18年)」の指定も受けています。


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