二条城
     Nijo-jo Castle
            21.Oct.2007
            天空仙人の名城めぐり
二条城 Official Page
二条城 写真
二条城 東南隅櫓

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二条城 東南隅櫓

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二条城 二の丸御殿

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二条城

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二条城

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二条城

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二条城 加茂七石

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二条城 香雲亭

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東南隅櫓大手門
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唐門二の丸御殿
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黒書院
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天守閣跡天守閣跡
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二条城

Nijo-jo Castle

京都府京都市中京区二条城町541


二条城は、1603年(慶長8年)徳川初代将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営し、 三代将軍家光が、伏見城の遺構を移すなどして、1626年(寛永3年)に完成したもので、 家康が建てた慶長年間の建築と家光がつくらせた絵画・彫刻などが総合した、いわゆる桃山文化の全貌を見ることができます。

1867年(慶応3年)十五代将軍慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、1884年(明治17年)には離宮、 1939年(昭和14年)京都市に下賜されました。2003年(平成15年)には築城400年を迎えました。

また、1994年(平成6年)には、ユネスコの世界遺産に登録されています。


本丸

本丸は1626年、3代将軍家光により増築したもの。もとは城内に高くそびえ壮麗を誇っていた5層の天守閣がありましたが、 1750年、雷火により焼失、また1788年には大火による類焼で本丸内の殿舎をもなくしました。

現在の建物は、もと京都御所にあった旧桂宮御殿を1893年〜94年(明治26年〜27日)にわたりここに移し建てられたものです。 この建物は1847年(弘化4年)に建てられたもので、宮御殿の遺構としては完全な形で残っている貴重なもので、重要文化財に指定 されています。

特別名勝

二条城二の丸庭園

池を中心とした庭で、三つの島を置き、四つの橋を架け、西北隅に滝を落とし、池の汀に多くの岩石を配した景観は変化に富んで秀麗であり、豪壮な趣がある。

庭園は大広間の西、黒書院の南に位置し、主として大広間から鑑賞せらるのであるが、寛永3年後水尾天皇御幸の際、行幸御殿が庭園の南に設けられた関係で、庭園南部の石組みに変更を加えた形跡が見られる

作庭年代については、記録や作風から推して慶長7,8年頃二条城が造られた時にその建築に調和させて築造せられたもので、後水之尾天皇御幸の際一部改修を加えられ今日に至ったものと考へられる。

そしてその作風は桃山末期乃至(ないし)江戸初期に大成された書院造りの大建築に伴う庭園の特徴をよく示し、現存歴史的庭園中の優秀作品の1つに数えられる。

本丸御殿南側にある庭園は、明治時代に作庭されたもので、天守閣跡は、この庭園の西南隅にあります。


二の丸庭園(特別名勝) 南側に後水尾天皇の行幸御殿が建てられた際に改造されたといわれており、主に大広間、黒書院、行幸御殿の三方向から 見られるよう工夫されています。色彩に富んだ大小さまざまな石組にあらわれた力強さは、豪壮な城郭建築とよく調和しています。


清流園

清流園は、江戸初期の豪商角倉了以の屋敷から、建物の一部と庭石約800個を譲り受け、これをもとに二条城にふさわ しく、雄大・明朗・風雅をモチーフに全国から集めた銘石300個と新たに茶室を加え1965年(昭和40年)に完成しました。 庭は、池泉回遊式の和風庭園部分と、芝生を主体にした洋風庭園部分からなり、面積約16,500平方メートル、園内に は、香霧亭、茶室和楽庵があり、市民大茶会をはじめ二条城を訪れる国賓公賓の接遇場所にも利用されています。

二の丸御殿(国宝)

武家風書院造の代表的な御殿建築で、車寄につづいて遠侍(とおざむらい)、式台(しきだい)、大広間、蘇鉄の間、黒書院、 白書院の6棟が東南から西北にかけ雁行に並んでいます。建物面積は3,300平方メートル、部屋数は33、畳は800畳余 りあります。 各部屋の障壁画は狩野派の手によるもので、部屋の目的に応じて描かれています。 また欄間の彫刻、飾金具、長押(なげし)に打たれた花熨斗形(はなのしがた)の釘隠しなどは、金飾あざやかに豪華を極めています。 また、御殿東北には、台所・御清所(おきよどころ)があり、いずれも重要文化財に指定されています。

二条城 パンフレットより


元離宮二条城

慶長6年(1601)、徳川家康の命により、奉行板倉勝重が差配、市中の多数の労役者の力により着工され、翌年3月に完成した。

京都の守護と上洛の際の宿所がその目的で、二条新御所などと呼ばれ、はじめは小規模のものであった。 家康の征夷大将軍の拝賀および二代秀忠の将軍宣下は、この二条城で行われた。

その後も、造営は続けられ、伏見城の遺構をここに移し、寛永3年(1626)、三代将軍家光が、ここに後水尾天皇を迎えた頃、 その規模はもっとも拡大され、 五層の天守閣も備えていた。 しかし、寛永3年(1750)雷火のため天守閣を焼失、また、天明8年(1788)には、市中の大火にあい、本丸殿舎、櫓の多くを焼失した。

文久3年(1863)、十四代将軍家茂が入城、攘夷の実行を誓い、また、慶応3年(1867)には、十五代将軍慶喜が、 この城中で大政奉還を決意し、上表の使者を出している。

明治4年、二の丸内に京都府庁が設置され、明治17年宮内省に属し、 二条離宮と改称、明治26、27年には、本丸御殿跡に京都御所にあった桂宮御殿が移築され、本丸御殿と呼称されている。 昭和14年(1939)、京都市の所有に移り、 史跡に指定された。

城構は、平城で、本丸・二の丸の二部よりなり、周囲には幅13mないし17mの濠をめぐらし、東西約480m、南北360mあり、 国宝二の丸御殿をはじめ、台所・御清所・東南・西南両隅櫓、東・北大手門・土蔵・本丸御殿などの重要文化財がある。

二条城 案内板より


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