和歌山城
     Wakayama-jo Castle
           10.Feb.2005
            天空仙人の名城めぐり

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和歌山城

Wakayama-jo Castle

和歌山県和歌山市一番丁23

23,Ichiban-cho,Wakayama-shi,Wakayama


史跡 和歌山城

指定昭和6年3月

和歌山城は天正13年(1585)豊臣秀吉が紀州を統一し、弟秀長の領地としましたが、 その際虎伏山の地をえらび自ら縄張りし藤堂高虎等を普請奉行として本丸および二の丸を 築城させたのに始まります。

翌14年から秀長の城代、桑山重晴が在城し、はじめて若山または和歌山の城というようになりました。

慶長5年(1600)浅野幸長が37万石をもってこの国の領主となりその卆後弟長晟がこれを継ぎましたが、 この間逐次城郭を整備しました。

元和5年(1619)徳川家康の第十子頼宣が55万5千石を領して入城し以来250余年御三家の一つとして大いに栄えました。

頼宣入国するにおよんで城郭の大改修が行なわれ西国第一の要衝としてその威容を誇っていましたが、 その間数次にわたり災害があり特に弘化3年(1846)には落雷により天守閣多門などが焼失しましたが、 嘉永3年(1850)に再建した。

明治4年(1871)廃藩置県により和歌山城は廃城となり同34年和歌山公園として始めて公開されました。

その後昭和6年(1931)史跡の指定をうけ、さらに同10年天守閣、楠門等が国宝建造物に指定されましたが、 同20年7月9日の空襲により一夜のうちに焼失しました。 戦後14年市の戦災復興が進むとともに当城再建の気運が盛り上り ここに昭和32年6月に工事に着手し翌33年10月竣工、昔にかわらぬ偉容を再現するに至りました。

本城郭中浅野氏時代の大手門であり徳川氏元和7年大改修の時以来搦手門となった岡口門は 和歌山城唯一の遺構として昭和32年6月重要文化財として指定されています。

平成13年9月

和歌山市 案内板より


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