千葉 佐原 Sawara 4.Jan.2003 天空仙人の旅のかけら
「JR佐原駅」 | 「伊能忠敬像」 |
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「小野川」 | |
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「樋橋」 | 「樋橋」 |
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千葉県香取市佐原
Sawara,Katori-shi,Chiba
伊能忠敬 日本で初めて実測による全国地図を作った伊能忠敬は、延享二年(1745)に上総国山辺郡小関村(九十九里町)で生まれました。 その後下総国香取郡佐原村の伊能家へ婿に入りますが、そのとき忠敬は17歳、妻のミチは22歳でした。 当時の伊能家は米の売買や酒造りなどを営む大きな商家で、佐原村本宿組の名主を務める家柄でした。 もともと学問が好きだった忠敬は家業の合間に天文暦学の勉強を続け、49歳で隠居してからは江戸へ出て本格的に勉強を始めます。 そして五十五歳から十回にわけて全国測量を行いました。 その間に歩いた距離は約三万五○○○キロ、地球一周分にもなります。 測量の成果は大日本沿海輿地全図として結実しますが、それは72歳で忠敬が亡くなった三年後のことで、 弟子達の努力によるものでした。 記念館所蔵の伊能忠敬関係資料2,345点は、平成22年6月29日に国宝に指定されました。 香取市 パンフレットより 樋橋 樋橋は、江戸時代の初期、佐原村の灌漑用水を東岸から西岸に送るため、 木製の大きな樋をつくリ小野川に架けられたものです。 もともとこの橋は、人を渡すためにつくられたものではなく、後に大樋を箱型につくり、 丸太の手摺を付け板を敷いて、人が渡れるようになりました。 橋の名は、大樋でつくられたので樋橋といい、 また大樋から水がジャージャーと流れ落ちていたので「ジャージャー橋」とも呼ばれました。 昭和に入り、コンクリート製となり、現在の橋は平成四年に架け替えられたものです。 案内板より |
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