二本松 智恵子の杜公園 Nihonmatsu Chieko no Mori Koen 1.May.2008 天空仙人の旅のかけら
「二本松 智恵子の杜公園」 |
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「鞍石山から見る あれが阿多多羅山」 |
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「鞍石山から見る あの光るのが阿武隈川」 |
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「樹下の二人の詩碑」 | |
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「ほんとの空」 | 「樹下の二人」 |
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福島県二本松市油井
樹下(じゅか)の二人 (高村 光太郎)
あどけない話 (高村 光太郎)
智恵子抄について あれが阿多多羅山 あのひかるのが 阿武隈川 高村光太郎と智恵子の夫婦愛を美しくうたいあげた詩集『智恵子抄』から「樹下の二人」と「あどけない語」の二編を抜粋 したものがこの碑である。 高村光太郎の詩は思想的、知性的である。彼と同年代に発表された大正諸詩人の詩集が官能的、浪漫的、情緒的なのに比べ ると、彼の詩は主流的煩向からはずれ、むしろ異端的立場にあった。 智恵子は、福島高等女学校から日本女子大を経て、光太郎と大正三年に結ばれた。光太郎三十二歳、智恵子二十九歳。 貧しくとも純愛に満ちた二人の生活はスタートした。智恵子を得たことによって、光太郎は彫刻家として詩人としてその才 能を示し、後世に残るすぐれた作品を創った。 幸福そのものの二人にもやがて悲劇が訪れる。智恵子の精神異常、自殺未遂、そして死。 しかし智恵子に対する光太郎の愛は変わらず、智恵子も狂気の中にあってその思慕は失わなかった。 光太郎がうたいあげる智恵子抄と智恵子が無心に折る紙絵が一つに溶け合う、智恵子の病によって二人の愛は更に高められ たといっていい。 智恵子は南品川ゼームス坂病院で五十二歳でこの世を去った が、その死顔は二十代の若さに輝いていたという。 二本松観光協会 パンフレットより
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