福井 一乗谷 朝倉館跡 25.May.2016 天空仙人の旅のかけら
「福井 一乗谷 朝倉館跡」 |
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「朝倉義景公墓所」 | 「朝倉義景公墓所」 |
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福井県福井市城戸ノ内町
一乗谷朝倉氏遺跡
特別史跡 一乗谷朝倉氏遺跡朝倉氏の歴史 朝倉氏は現在の兵庫県養父市八鹿町の豪族で、南北朝時代に朝倉広景が主家の斯波高経に従って越前に入国しました。 朝倉孝景の代、1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに一乗谷に本拠を移し、斯波氏や甲斐氏を追放して越前を平定しました。 以後、孝景、氏景、貞景、義景と5代103年間にわたって越前中心として繁栄し、 この間、京や奈良の貴族・僧侶などの文化人が下向し、北陸の小京都とも呼ばれました。 義景は、足利義昭を南陽寺に迎え観桜の宴を催しました。 しかし天下統一の刀根坂の戦いで1573年織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、城下町も焼討ちにあい灰燼に帰しました。 一乗谷朝倉氏遺跡・庭園 一乗谷は、福井市街の東南約10kmにあり、戦国大名朝倉氏の城下町の跡がそっくり埋もれていました。 遺跡の発掘調査は、昭和42年から進められ、昭和46年には一乗谷を含む278haが国の特別史跡に指定されました。 また、平成3年には諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園、館跡庭園、南陽寺跡庭園が特別名勝に指定されました。 義景館跡と館跡庭園 第5代当主朝倉義景が住んだ館の跡で、6,500u程の敷地があり三方は土塁と濠で囲まれています。 常御殿、主殿、会所、茶室、日本最古の花壇のほか、台所、厩(うまや)、藏などが整然と配されていました。 東側の山際にある館跡庭園は力強い滝石組、護岸組石を持ち、その洗練された石組に京都との交流が偲ばれます。
特別名勝 一乗谷朝倉氏庭園
諏訪館跡庭園 諏訪館は朝倉義景の妻「小少将」の館で、その庭園は、遺跡の中でも最も規模の大きいものです。 中心の4m余りの巨石は、滝石組をなしており、全体に水平感と垂直感を基本にして安定感のある構成になっています。 この石には江戸時代末に掘り込まれた3代貞景、4代孝景等の法名が残されています。
湯殿跡庭園 義景館跡を見下ろす高台にあり、先ず荒々しい石組みに驚かされます。 どの石も強い表情を持ち迫力があります。鶴岩亀岩を思わせる中島や出島があり、水路が山際に沿って 南から北に走り滝口に注ぐ池泉庭園になっています。 他の庭園とは様式も感覚も異なり、一乗谷で最も古い庭園とされています。
南陽寺跡庭園 南陽寺は、第3代当主貞景が娘のために再興した尼寺で、館の東北の景勝地にあり、庭には石組と池泉跡が残っています。 滝添石に挟まれて三段の滝が組まれ、力強い石組みになっています。 ここは将軍足利義昭を招いて観桜の酒宴を催したところで、庭前には美しい糸桜があったと伝えられています。 パンフレットより |
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