五色沼
五色沼湖沼群は、桧原湖南岸から東に延びる3.6kmの自然探勝路のまわりに点在する大小30余りの湖沼からなります。
この探勝路では10数個の沼を観察できます。
この湖沼群は、桧原湖などの湖と同じく、1888(明治21)年の噴火の際生じた岩なだれによるせき止めで誕生しました。
これらの沼の多くは、磐梯山の火口付近にある銅沼に端を発する地下水を水源としております。
従って火山活動によって生じる硫化水素が多量に溶け込んでいる水により、水質が酸性になっています。
硫酸イオンとなって多量に溶け込んでいる水により、
水質が酸性となっている沼もいくつかあります。
また、檜原湖からの水や磐梯山の深層地下水などが混入している湖沼もあり、
沼ごとに異なる多様な水質となっています。
五色沼湖沼群は、その水質や生育植物により大きく4つに区分されます。
ひとつは水質の酸性が強い銅沼系で、水の色が青く透明度が高い湖沼である、るり沼・青沼・弁天沼のグループです。
湖底にウカミカマゴケなどのコケ類のマットが大きく発達しているのが、これらの湖沼の特徴です。
残りの湖沼は五色沼系と呼ばれ、生育する水草の種類により、赤沼グループ、毘沙門沼・竜沼・みどろ沼グループ、
弥六沼・父沼・母沼・柳沼グループに分けられます。
ここ毘沙門沼は五色沼最大の湖沼です。
裏磐梯の噴火(磐梯山噴火の状況)
磐梯山の噴火は、数万年前から幾度となく繰り返されてきました。
明治21年(1888年)の噴火は、溶岩がほとんど流れ出さない水素気爆発で、
大規模な山体崩壊を伴うものでした。
地下のマグマによって地下水が熱せられて生じた高圧の水蒸気が、小磐梯と呼ばれた峰を吹き飛ばし、同時に北側の山腹を大きく崩壊させたのがこのときの噴火といわれています。
このような火山活動は、長く活動を休止している火山に起こることが多いそうです。
火口原にある銅沼から見た火口壁は、溶岩や火山砕推屑物の堆積層が重なり、
磐梯山が形造られた様子がよく観察できます。
今でも 火口壁の一部からは噴気が立ちのぼり、急峻な壁面は年々崩壊が進み、
少しづつ形を変えています。
五色沼の水の色
五色沼湖沼群は、美しい青色を基調にしてさらに幾つかの色が混ざり合い、
それぞれに異なった微妙な色合いを見せてくれています。
五色沼の水には、アロフェンと呼ばれる鉱物質(アルミニウムの含水ケイ酸塩)の微粒子が大量に含まれており、
これらが水中に入った太陽光を反射することで、あの美しい青色が見られるのです。
また、沼の底や水草などに沈殿付着した酸化鉄により。
赤褐色に見える部分もあります。
このような五色沼湖沼群の神秘的な色合いは、様々な鉱物質を含んだ性質の異なる 水系の水が混ざり合うことによって作り出されているのです。
毘沙門沼 案内板より
8月21日に地元(所沢)の日邦観光さんの日帰りバスツアーで五色沼と桃狩りに行ってきました。
前回、台風が来そうなのでキャンセルしたことがあります。
前の週に台風が5個連続発生し、今回も危なさそうでしたが、天気は非常に良く気持ちの良い1日を過ごせました。
朝、新所沢駅6時20分に出発し、入間インターチェンジから圏央道を通って、東北道に入り、
佐野サービスエリア、安積パーキングエリアで途中休憩し、11時頃に五色沼に着きました。
ここから毘沙門沼、弁天沼、るり沼、青沼、柳沼を経て桧原湖に向かいます。
4,50年前に一度来たことがあって、その時、沼の色に感動したのを覚えています。
歳のせいもあって、感動が薄れているようです。北海道の白金温泉の青い池に最近行ったせいでしょうか。
でも、毘沙門沼からの 磐梯山の眺めや、弁天沼やるり沼の眺めもなかなかいいものです。
この夏は暑かったので、ここ2、3週間、散歩を怠ったせいか、足がふらついて、躓きそうになったり、捻挫しそうになったり、もうやはり年かな。
桧原湖の湖畔で、昼食をとりました。
食後、湖畔の日陰のベンチで、桧原湖を見て、遠くの雲を眺めて、風に吹かれていると至福の気分を味わえました。
予定では磐梯吾妻スカイライン通るはずでしたが、台風の影響で通行できず、レイクラインを通って、
福島の市内のまるせい果樹園で桃狩りをしました。
30分食べ放題だということでしたが2,3個食べて、もうお腹がいっぱい。
桃好きのカミサンのために、あかつきという桃をお土産に買いました。
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