二本松 戒石銘      Kaisekimei      1.May.2008          天空仙人の旅のかけら


二本松 戒石銘
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二本松 戒石銘

福島県二本松市字郭内


「戒石銘」

福島県立霞ヶ城公園は、二本松市(東北本線二本松駅下車、北方約700m、徒歩約十五分)に所在し、 江戸時代・寛永二十年(1643年)から明治元年(1868年)までの220有余年にわたる、 二本松藩・丹羽氏10万700石の居城でした。 城の東手には藩庁があって、藩士達の通用門がありました。 その藩庁前に露出していた長さ約8.5m、最大幅約5mの自然石(花崗岩)の大石に刻まれたのが”戒石銘”です。

五代藩主(丹羽家七代)丹羽高寛公が、藩儒学者の岩井田昨非の進言により、藩士の戒めとするため、 命じて刻ませたもので、寛延二年(1749年)三月に完成しました。 【この年は、高寛公はすでに致仕(隠居)し、六代藩主高庸公(高寛公の長男)の治世でした。】

銘は、露出面の縦1.03m、横1.82mの間に、四句十六字を刻み込んだもので、 その書体は非常に典雅さが感じられます。

(読みかた)       (意味)

爾 俸 爾 禄    爾の俸 爾禄は   お前がお上から戴く俸禄(給料)は、

民 膏 民 脂    民の膏民の脂なり  人民の汗と脂の結晶である。

下 民 易 虐    下民は虐げ易きも  下々の人民は虐げ易いけれども、

上 天 難 欺    上天は欺き難し   神をあざむくことはできない。

ェ延己已之年春三月


つまり、「お前(武士)の俸給は、人民があぶらして働いたたまものより得ているのである。 お前は人民に感謝し、いたわらねばならない。 この気持を忘れて弱い人民達を虐げたりすると、きっと天罰があろうぞ。」、と解釈されています。

この戒石銘が、二本松藩士の士風を奮い起こしたことは言うまでもありません。 明治戊辰の戦役において、藩の子弟が二本松少年隊として西軍に対して奮戦力闘し士道に殉じ、 また重臣の多くが城を枕に自刃して武士の亀鑑(模範)を示したこともまた、 この戒石銘の余香であったと思われます。 昭和十年(1935年)十二月二十四日、教育資料として、また行政の規範として価値の高いものであるため、 国史跡「旧二本松藩戒石銘碑」として指定されました。

二本松市/二本松教育委員会

しおり より


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