庄内藩校 致道館(ちどうかん) Chidokan 16.June.2006 天空仙人の旅のかけら
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「講堂」 | |
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「廟門」 | 「聖廟」 |
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山形県鶴岡市馬場町11-45
国指定史跡 庄内藩校 致道館 致道館は庄内藩九代の名君酒井忠徳公が、士風の刷新と藩政の振興をはかるため、 今から百九十余年前の文化二年(1805年)に建てた藩の学校である。 学校の組織はすべて中国式で、その中心は孔子を祭った聖廟であった。 明治六年に廃校されてから鶴岡県庁、鶴岡警察署の庁舎にも使われたこともあった。 その後女子教育の明倫学校となり、鶴岡高等女学校の開校もここで行われ、 さらに、最近までは鶴岡市立朝暘第一小学校として使用されていた。 東北地方で藩校としてその名をとどめているのは致道館のみで、 昭和二十六年(1951年)貴重な文化財として国の史跡に指定されている。
国指定史跡 致道館 この致道館は、藩校としての遺跡をよく留めている全国有数のもので、 しかも、戦災を受けることもなく存することは、日本の史跡としてまことに貴重なものであるとし、 昭和26年6月9日、国の指定を受けたものです。 藩校を創立したのは、庄内藩九代の藩主酒井忠徳で、士道が乱れ華美を好み横暴をきわめる弊風を刷新するのは教育にありと、 大宝寺の地(現駅前通り・日吉町)に、文化二年(1805年)学問所を創設したのがはじまりです。 その後、文化13年(1816年)十代藩主酒井忠器は、政教一致をはかるため、居城に近い三の曲輪内の現在地に移し、 藩の政務を処理する会所と学校とを合わせた珍しい仕組みとして整備しました。 致道館の教育方針は徂徠学を本旨とし、画一的な講釈を好まず各人の能力に応じた少人数を対象とする個別的な指導法をとったために、 多くの小教場を必要とし、数多くの室が設けられたのです。 明治維新により、明治6年(1873年)廃校となった後は、苗秀学校、鶴岡県庁、鶴岡警察署等に使用され、 さらに、明倫学校、朝賜小学校等の校舎と変遷し、昭和40年から復元工事に着手、同47年から一般に公開されております。 なお、致道館とは、論語の一節「君子学ンデ以テ其ノ道ヲ致ス」から名づけられたものです。 案内板 より
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