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   コルドバ メスキータ
     Mezquita
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        情熱のスペイン
     Spain where passion spouts 8.June.2013
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コルドバ メスキータ 写真
「コルドバ メスキータ」

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「コルドバ メスキータ」
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「ミナレット(尖塔)

アミナール (Aminar) 」

「礼拝の間 円柱の森」
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「オレンジのパティオ (Patio) 」「オレンジのパティオ (Patio)」
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「大聖堂の裏側」
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「聖母子像」
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「ミフラーブ (Mihrab)」
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「マクスラ(旧 モスク)の天井」
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【コルドバ メスキータ(Mezquita)】

メスキータ(mezquita)とは、スペイン語でモスクという意味である。 しかし、一般的には固有名詞として、スペインアンダルシア州コルドバにあるカトリック教会の司教座聖堂「コルドバの聖マリア大聖堂(Catedral de Santa Maria de Cordoba)」を指す場合が多い。

メスキータ(Mezquita)は「モスク」(ひざまずく場所)、ムスリム(回教徒)の礼拝堂の意味で、 スペインに現存する唯一の大モスクである。

アブドールラフマン1世は、グワダルキビール川の流れが変わるコルドバの小高い丘にメスキータの建設を始める。 ここは紀元2世紀、戦勝祈願を行ったローマ神殿があったという伝説があり、 西ゴート王国時代には聖ヴィアンテ教会があった神聖な場所であった。

785年、イスラム教の寺院としてアブデラマン1世時代に建設された。 その後、カトリック教徒が権力をにぎった1236年からは、内部に礼拝堂を設けたりカテドラルが新設されて、 メスキータはイスラム教とキリスト教、2つの宗教が同居する世にも珍しい建築となった。

メスキータは大きく3つの構成要素からなる。 アミナール (Aminar) と呼ばれる回教寺院の「塔」と、現在はオレンジのパティオ (Patio) と呼ばれ、 礼拝者が体を清めるための沐浴を行う清めの「庭」。 そして無数の柱が森のように広がる祈りの場「礼拝の間」である。 礼拝の間にはキブリ壁(muro Kibli) といわれるメッカのカーバ(Kabah) 神殿の方向を指し示す壁が正面にあり、 目印となるミフラーブ (Mihrab) と呼ばれる小さな窪みが設けられている。


コルドバ大聖堂

司教区の司教座聖堂

司教座聖堂参事会はこの聖なるコルドバ大聖堂への皆様の訪問を心より歓迎いたしておいります。 皆様が訪問される、世界唯一のこの建築物の全構内は1236年に司教区の司教座聖堂として神聖化されたものです。 この美しく、壮大な寺院では当時以来、1日も欠かさずに、司教座参事会が厳粛な礼拝を行ってきており、 キリスト教社会の人々が神の言葉を聞き、秘跡を受けるために集ってきた場所でもあります。

大聖堂は、司教区の司教座聖堂であり、この司教区のすべての教会の中心となり、カトリック典礼の生命の主要な位置を占めているものです。 ここには、教会で教職につき、さらに教会において特定の権限を持つ司教の高位聖職者がおり、 全司教区の神父のよう信仰深い信者とともにミサを開催しています。

この大聖堂で皆様をお出迎えするにあたっては、司教座聖堂参事会が私たちの歴史の生き証人であるコルドバ大聖堂そしてキリスト教寺院のアイデンティティーとされているこの建物への丁重な訪問をお願いしています。

起源

全大聖堂の下には、常に隠れた大聖堂の道があります。 コルドバの場合、伝統的に、建設の西ゴート起源の建設部に狙いを定められていました。 この資料は、サン・ビセンテ博物館で見ることのできる旧キリスト教寺院のモザイクの残骸であり、 「原位置において観察、確証」と記され、考古学的な発掘物によって証明されているものです。 サン・ビセンテのバシリカがイスラム期にその上に後のメスキータを建設するために破壊されたことは、 歴史的事実です。 問題はこの都市の中央教会に関するものでした。 6世紀のバシリカはその消滅後も記憶され、且つ崇拝され続けました。

イスラム教の介入

コルドバでのイスラム教によるキリスト教ののち、イスラム統治者たちは、 取り壊されたサン・ビセンテの教会の材料を利用し、 結局、コルドバがアル・アンダルス(ドゥエロ川に及んだ領域)の首都であった時期に、 西洋全域のイスラム教で最も重要な聖域と考えられることになった建物、 メスキータの建設が785年に開始されました。 宗教的目的のみではない、この印象的な構内は、宗教的目的のみではなく、 社会的、文化的、政治的な目的ももち、4段階の建設的段階を踏んだものです。

アブデラマン1世:伝統的な配置はサハン(沐浴の中庭)とズラー(祈祷室)に見られ、 ダマスカスのイスラム教寺院に影響を受けているものです。 しかし、イベリア半島でローマ化した人々の芸術の強い影響が認められ、 単に崩壊されたサン・ビセンテの資材を再利用しただけではなく、 西ゴートの教会でも見られたように、翼廊の方角がキブラ壁に対応するように並べられ(並行ではない)ました。 一方で、アーチの分解と重畳されたレンガと石(赤とベージュ)の交差は、 イベリア半島においてローマ化した人々の伝統として彼ら独自のモデルを所有していました。

アブデラマン2世:独立エミールのこの繁盛期の間(強烈なキリスト教徒迫害によるものであったとしても)、 前任者の概略を繰り返して、中庭と祈祷室を伸ばすメスキータの最初の拡大が行われました。 このパティオでは、ウマイヤ朝のカリフであるアブデラマン3世が大聖堂の現在の塔にはめ込み細工を加えました。

アルハケム2世:カリフの領土の最盛期にはイスラム教寺院、メスキータが参考モデルとなるような コルドバがダマスカスに代わるほどの見事で独創的な拡張が行われました。 加工、または細工された材料だけではなく重要となったのは独創的な作品であることでした。 「立願修道士」(非営利)だけではなく、 とくに、ミヒラーブ(祈祷を指揮するイマムとならび、聖なる空間)の建設に使用された非常に美しいモザイクを奉献したキリスト教皇帝ニコラス・フォカスが送り込んだビサンチウムの芸術家および建築家の存在が要点となりました。 キリスト教によるものがもう1つあります :建物の原案でバシリカの構造の影響を再確認することができるラテン十字の配置図を装い、 ミヒラーブと4つの天窓の集合が形成する十字架の配置。

アルマンゾール:中庭を含む建物の東に沿って8つの望廊を付け加えることで最終的な拡大を行いました。 権力誇示の欲望により行われたこの建設が最大のものとなっています。 しかしながら前例を真似し、コストを下げることだけにとどめたことで独創性に欠ける結果となっています。 たとえば、アーチの2色効果は石とレンガを交互に組み合わせることで実現されたものではなく、 単に塗られたものとなっています。

キリスト教の変化

コルドバでは1236年にフェルナンド3世によって再征服(レコンキスタ)がなされました。 王位の免罪にあたり、領主の征服よりもキリスト信仰の回復をより重視した彼の意志を象徴するよう、 都市の入口に十字架が建てられました。 さらに、不朽の王が式典の唯一の主役になるよう、敷地構内のすべての石が改宗されキリストに奉献されるためのメスキータの浄化式への出席を拒みました。

多くのキリスト教徒が命を捧げた福音書を宣言をキリスト教信者たちが望んだことは、明白です。 キリスト教の経験とは遠い信仰の存在を強いられてきた聖なる地の回復が重要だったのです。 1236年に大聖堂の最初の聖餐が開催されたということでアルハケム2世はビリャビシィオサ中央礼拝堂を選びました。 このように、大聖堂の改築は、キリスト教であるしるしを見つめたいという熱望に応じ、 典礼の支障となる多くの円柱の体を取り壊すなど、 イスラム支配により中断されていた礼拝を復活させることの必要性に動機づけられてきたものでした。

中央礼拝堂、翼応および聖堂内陣

これら反論に満ちた建築物の建設は1523年に始まり、建築家エルナン・ルイス1世、2世、3世、 ディエゴ・デ・プレイスおよびフアン・デ・オチコアによってなされたものです。 ゴシック、ルネッサンスとバロック様式をすべて含む建築物に、カリフ式構造を微妙なバランスで取り入れたラテン十字の配置図が生み出されました。 最大の祭壇画は、アロンソ・マティアスの設計をもとに作成されました。 聖堂内陣はシスティーナ礼拝堂に影響を受けた地下聖堂の上部に位置し、コルネホ公爵の聖歌隊席ハイライトとしています。

礼拝堂

これらは、キリストの神秘を表現力豊かに描かれた壁に棲息させる大聖堂に埋葬されたいという忠実な信者の願いの成果です。 フェルナンド4世とアルフォンソ世の遺骸が納められたムデハル式の石細工の王立礼拝堂、聖母礼拝堂、旧洗礼堂、聖体の現聖櫃、 バロック式のサン・パブロ礼拝堂とその他多くの礼拝堂、およびキリスト教信者たちの信仰と献身を豊かに取り入れた芸術的財産である祭壇がハイライトとされています。 もう1つ別の事項は、信者か信仰を確信し続ける励みとなるよう聖体拝領に招待された コルドバの殉教者たちを代表するセサール・アルバシアの壁画で覆ったサクラリオ小教区教会であります。

司教座の財産

司教座礼拝および司教座聖堂参事会または司教座によって使用される部分からなっています。 未だに聖体行列の際には道にたたされているエンリケ・デ・アルフェによるキリストの聖櫃がハイライトとされており、 聖体拝領へのコルドバ市民の献身の証拠とされています。

オレンジの中庭と塔

イスラム式の中庭は内庭回廊の建設により改築されました。 15世紀にはその名の通りオレンジの木によって栄光が交代されました。 アフデラマン3世の塔を保護しつつ、鐘の胴体部はエルナン・ルイス3世に捧られる現在の塔が建設されることになります。 都市の監督者に値する大天使であったサン・ラファエルの彫像は彼への褒賞とされたものです、 別名免罪の門の横には、構内の正面入り口が隣接しています。

熟考

この教会は旧西洋カリフのイスラム教寺院を大聖堂および歴史的世界遺産か破壊されないように保った聖堂参事会によっ運営されています。 これは教会の使命の1つに常なる芸術の着想および保護が位置づけられているからです。

コルドバ大聖堂への訪問は時間を経てもしなびることのない盛大な美の追求を目覚めさせられることになるでしょう、 なぜならこの美しさは真実と善に値するもので、悲観論に対抗する手段でもあり、命を愛おしむ気持ちにつながるもので、 さらに神への懐旧を掻き立てる衝撃ともなるものであるからです。


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